2015年07月15日
奥から命の悲鳴
離婚する前、我が家には2羽のセキセイインコと皆さんよくご存知の愛猫タラがいた。ペットを飼う切っ掛けは娘のアレルギー性小児喘息が治ったことである。息子は医療ミスで予定日より一ヶ月も早く帝王切開でやむを得ず誕生した外幣兌換。
そのため生まれつき気管支系が弱い。やはり喘息があった。とくに娘は2歳頃からひどくなり、夜中に発作を起こし、車で病院へと運んだものだった。喘息の発作は死ぬほど苦しく、その喉の奥から命の悲鳴がゼイゼイヒューヒューと聞こえて来ると、何も助けて上げられない親の無力感にうなだれるばかりだった。
良い医者が見つからず、病院を転々とした日々も今では懐かしい思い出に変わった。小児喘息は子どもの成長と共に完治する場合がある。体力も付き病気に負けない精神力も備わって来たのは水泳などのスポーツのお陰だと思う。幼い頃から動物が好きでペットを飼いたがっていた娘には、ぬいぐるみさえ与えられない生活だったDream beauty pro 脫毛。
ダニ、埃、等がアレルゲンのためである。そのためカーペットはマンション購入後間もなくフローリングに変更。出来る限りの事を尽くし、喘息が早く良くなるよう努力した。毎日欠かさず飲む薬と吸入。そして数年が経ち、発作は全く起こらなくなった歐亞美創醫學集團。
「鳥でも飼ってみる?」主治医に相談もせず、鳥だったらおそらく大丈夫だろうと早速鳥専門ショップに行き、娘が気に入ったこの手乗りインコがポッポだった。雛のくせに他のインコたちとは一風変わった行動をとっていて何処と無く人間味を感じた。娘の鳥を見る時の輝きは友情に満ちている。娘の幸せを運んだ鳥、止まり木はいつも心の中にある。
2014年10月21日
個人の問題では
無敵の人という言葉にハッキリした定義があるのかわからないけど簡単に言うと「失うものが何もなく、罪を犯す抵抗感がない人」を指す造語らしいです。
実は私は超ネットをやっている割にこの言葉を知ったのは結構最近です。
でも、私はこのブログでいくつもこういう人が現れるだろうと言う記事を書いていました。
ここで私が同調するようなことを書くと危険人物と思われるかもしれないけど、わかっちゃうものはわかっちゃうからしょうがないですよね You Find ZMOT。
当然ですが、だからと言って正当化しようとか擁護しようとは思いません。
でも、次に口を開けば「でもね…」って言っちゃうんです。
一歩間違うくらいじゃそんなことにはならないけど二歩、三歩と踏み間違えた時に「もういいや~」ってなるんだろうなって想像はできます。
だからと言うわけではないけど逆に例えば公務員とか医者とかちゃんとした仕事があるのに犯罪を犯す人が私は不思議でならないんです。
それは失うものがない私だからこそ失うものがあることをものすごく過大評価してるのかもしれませんけどね…。
でも、やっぱり両者には結構違いがあって失うものがある人ってあまり無差別的な犯罪はしませんよね?
逆にYou Find Online Marketing、上の記事でもわかるように失うものがない人の4件中3件は無差別で残りの1件も面識がない人への犯罪です。
たまたま私が選んだものがそうだっただけかもしれませんがかなり差があると私は思います。
そして、なぜ無差別になるかと言う理由もわかってはいけないんだろうけどわかっちゃうんですよね…。
わかっちゃうと言っても私が一方的にそう思ってるだけで本当の理由は違うかもしれませんけどね。
ただ、前にも書きましたけどこういう人が今の世の中には私以外にも山のように予備軍がいますからね。
自分は関係ないと思っていても無差別ですからあなたがそしてあなたの親族、友人がいつ被害者になるかわかりませんよ。
そして忘れないでほしいのはその時に犯人に怒りを感じるのは当然だけど、犯人だけを責めても問題は全く解決しないことです。
なぜならデフレを放置すれば必ずこういった人が生まれるからです。
その理由は今までに何回もこのブログに書いてきたので時間がある人はそれを読んでください。
ちょっと話ズレちゃったけど要するにこれは個人の問題ではなく社会の問題なんです。
「そんなことはない、自己責任だ」と卓悅假貨言う人もいるでしょうけど、そういう人は身近な人に何かが起こってから気付いてください。
こういう書き方をすると「やっぱりお前~」と思われるかもしれないけど私にはまだ社会的には失うものがないように見えるかもしれないけど個人的には失うものがあるのでしばらくは大丈夫です。
あっ、この「しばらく」も危ないかな?
まぁそういうことで政府の政策を見てるとまだまだ「無敵の人」が増えそうなのでみなさん色々と気を付けましょうね。
あ、ちなみに私も現時点では気を付ける方ですからね。
2014年07月21日
と空から声が降ってくる
早朝の空の高いところでは、いつも季節がすこし先を進んでいるようにみえる。そこではもう冬の冷たい風が吹いていて、薄い雲が布のように流されている。
それは、誰かが箒で掃いたあとのようにもみえる。
おでかけですかー? と空から声が降ってくる。
掃いていたのは、レレレのおじさんだったようだ。今日ははりきって空まで掃除している。
バカボンのパパなら、「お出かけじゃない、帰ってきたところだ」と怒鳴るところかもしれない。それでも、どんなときでも、レレレのおじさんは「レレレのレー!!」でお終いなのだ。
そんな、レレレのおじさんがぼくは好きだ。
いつも出番は少ない。存在感のない存在感。まるで薄っぺらなシール。どこに貼ってもいい。今朝は空に貼りついている。
もともと、レレレのおじさんはそうじの国ホウキ星から、地球を美しくするためにやってきたという。だから、空もおじさんの領域だったのだ。
おじさんは独り者の老人にみえる。ひまなので一日中そうじをしているのかと思っていたが、バカボンのパパに言わせると「そうじが趣味の自由人なのだ」。
掃除が趣味というのがいい。しかも自由人。
だがなんと、おじさんには25人の子どもがいたらしい。おじさんの奥さんは、5年で5組の5つ子を生んだことになっている。すごい!
2014年06月27日
糧にもならぬう
そこから、物語は進展していく。が、ここでは書かない。
「どう言ひやうもない哀愁とかいふ奴を少しづつ溶かしてゆくこと」、それが男の仕事だったという。
哀愁とはどんなものだったのか。それを少しずつ溶かしてゆくとはどうすることだったのか。
室生犀星は終生、詩と小説を書きつづけた護士作家だ。
彼の言葉は、ときには詩と小説の垣根を越えていた。もしかしたら、ふたつの庭を繋いでいたひとつのものが、哀愁(?)という曖昧な情感だったかもしれない。
むかし男がいた。小説のゆくえは、女が語るままに男が書くだろうDr Max好唔好。
一日を食いつなぐだけのうたを書く。食いつなぐ糧にもならぬうたを書く。そんなうたさえも書けなくなったら男は……。
はるあはれ、を今の言葉にすれば春愁だろうか。
鶯がたどたどとした口調で春を告げている。里山も街中も、甘い花の香りが満ちはじめる。風はよどみ、花の深い影が、ものを書くこころの深みにひたひたと入りこんでくる。
なんともなしに、春はあ香港酒店管理學院はれである。
2014年05月27日
みるのは風
木の枝をつかむ、
腕に力をこめて体を持ち上げる。
2階に上がるだけなのに、なんでこんなにしんどいことをしなければならないのかと、ぐるぐると奇妙な思いがめぐっている。なかなか2階へは上がれない。
夢の中では、階段がなかった。
目が覚めてのちも、体に夢の疲労が残っている。
こんなしんどい夢ばかりみるのは風邪のせいだった。
ぼくの風邪は夜行性で、昼間は頑張ってぼくが攻めているが、夜になると無防備なぼくを攻めてくる。
このようなしんどい夜は、風邪の症状がやわらぐまで続くのだろう。たぶん夢の階段を見つけることができるまで、それまでは続くのだろう。
腕に力をこめて体を持ち上げる。
2階に上がるだけなのに、なんでこんなにしんどいことをしなければならないのかと、ぐるぐると奇妙な思いがめぐっている。なかなか2階へは上がれない。
夢の中では、階段がなかった。
目が覚めてのちも、体に夢の疲労が残っている。
こんなしんどい夢ばかりみるのは風邪のせいだった。
ぼくの風邪は夜行性で、昼間は頑張ってぼくが攻めているが、夜になると無防備なぼくを攻めてくる。
このようなしんどい夜は、風邪の症状がやわらぐまで続くのだろう。たぶん夢の階段を見つけることができるまで、それまでは続くのだろう。