2015年05月06日

楽せず あてにせず


少欲知足 「遺教経」
_______少しの、小さな欲でもって満足を知りなさいというような意味なのですが
”無欲” とおっしやらないところうが、ほんとうにお釈迦さまらしいと思いません
か?
 まったく無欲だったら、仙人になっちゃわないと、この世で生きていけないで
しょう。だからいろいろなことに対してたえず少欲をもっておく。勉強だって最初
からノーベル賞をとろうとかの太欲をもっていては挫折するでしょうし、就職のと
きだって最初から社長にしてくれっていっても笑われますよ。豊臣秀吉じゃあり
ませんけど、最初は草履取りで満足して、上司である殿様の草履を懐ろに入れ
て温めるという真心をもつ。それで少し上の役についたらまたそこで一歩だけ進
んだ少欲を抱く。
 仕事、恋愛、家庭生活、なんでも同じことですね。 
 無欲になれといわれても無理ですが、少欲をもって満足を知っていけば、心は
やすらぎますし、そこから次加州健身中心の少欲へと、また一歩前に進んでいくのではないで
しょうか。
 昔からよくいわれる言葉に、

   無理せず 楽せず あてにせず

 というのがございますね。
 無理に自分の望みを通すな体も無理するな。また楽したい楽したいと思うな。
 そして他人をあてにすると常に不満が残るから、あてにしてはいけない__
という意味ですが、これも根っこのところで ”少欲知足” とつながっていますね。

 お釈迦さまは、人間の弱さを本当によくご存じだったんだなあと、私は思います。



Posted by weixingi at 11:49│Comments(0)
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